右翼との断絶、そして、ある好漢に対する弔慰の言葉
まず、何も考えず外に出よ
ネトウヨの価値観がアホらしくなったのは、ネットから離れて外に出てから強く思うようになったんだな。ほんと、あれほどにまでネットに執着したら重度のネット依存症でしか無いし、近頃までは何かと廃人にまで絡まれとるやないか(笑)
とりま、ネトウヨなんか関わる暇なんて無いんで(笑)
実際、それに気づいたのは去年ごとかな。何も考えずに淀川の河川敷を5時間ぐらいもサイクリングした瞬間に漠然と思ったのは「ネットに縛られるのではない、ネットから解放されることによって世界が見える」と感じるようになった。その一方で「ネットに縛られる自我に満足しているネトウヨがアホらしく見えた」と思ったのは。
右翼ってなんなんだい?
これのことなんかい?(爆)(笑)(涙)
須磨の右翼街宣でもそうなんだけど、ヘイト・クライムの根源というのはこのような『四畳半の鎖国的発想』つまり『島国根性』によって引き起こされるものではないのか?とも思える。これからの脱却をしないかぎりヘイトをやめることはない。しかし………
『四畳半の鎖国的発想』とは
まさに『これ』です(笑)
冗談抜きでマジで感じた。
と言うのはさておき、なぜネトウヨはなぜ非生産的であるのかというところまで行き着く。それは言うまでもなく四畳半の鎖国環境による視野狭窄と無知からのものもあるだろう。それで広い世界を忌避している以上、家畜としての安寧を選択せざるを得ない。それを守ろうと言う防衛本能がヘイトスピーチであり、ヘイト・クライムではないのだろうか。
何故そうなるのか、それは「自分の経験以外のものはなかったかのように排除する」という姿勢からくるものであり、それが「異分子の排除」に発展するのではないかとも推測してる。某ブログなどを見れば解るように、在日コリアンに対して「こいつらは好き勝手ばっかりしている」「不満があるなら出て行け」と言う勘違いな正義感と思い込みを見ても、到底外に出ているとは考えられず、外に出るのを恐れて家畜のように生きることを選択したような言い方だ。
バカとは議論しないし、理解も接触もしない
これに対して『反差別主義が排除するのはおかしい』と思うのもいるが、それは大間違い。何故そのようなところにまで飛躍するかというと『自分自身を承認してくれない』と言うところではないのだろうか。それはネットでの人間関係以外の選択肢がないゆえに、それに偏ったためにそのような発想に至ると思う。外に出よというようにネットから離脱して他の選択肢を考えるほうが優先ではないのか?とどのつまり『趣味などに専念しなさい』というのはそれ。
ついでなんだから『反差別、在日が冷たいんでネトウヨになりますた(回帰した)』というのにも答えておく。何故、そのような珍現象にまで発展したのかは『承認欲求』が大いに関係するところなのだが、この承認欲求という他律的なものが軍国主義にとって都合がいいという側面もあるのだがそのために、相互不信が多く仮想敵を作ってまで結束するということにもなるんだよね。
それに何故、軍国主義にとって都合がいいかは、戦中にあった「よろしくやれ」こと「君を必要としている」「君は必要な存在だ」ということが承認欲求をくすぐるものであり、それに安定感を感じるということだろう。そのために孤独を嫌い、孤独であるのを見れば近づいてくる。『無趣味で孤独なんでヘイト・クライムに入りますた』というのはこれ。
もう外に出るしかねえだろ、外にw
右翼が騒いでいた須磨海岸の画像なんですけどw
外に出れば、ネットの状況とは関係ない広い世界がある。というより、いちいちネットの状況に関わるもない。国を守るとか言いつつもそれはネトゲ戦士としての自分に対する承認欲求ではないか。しかし、それは四畳半のディスプレイの世界でのことであり、広い世界ではつまらないものでもある。それを認めたくないためにありとあらゆる罵声を吐き、耳をふさぎつつ、嫉妬心がこじれて思いつくかのように突っかかってくる。在日コリアンに対するヘイトスピーチもそのためのものだろう。そう考えれば、ネットでの人間関係などというのにが限界があり、広い世界の中では役に立たない。
あるアタッカーに対して「外に出よ」と言った自称在日の好漢さん、それなら、何故そのようなのが出てきたかを考えたことはあるのかい?君自身がいくら誰とも平等に接しようというのはわからないことはない、それを自分自身の「反差別」と言う理想にするのは解る。しかし、ネットの世界ではそれが通じない、または相手を愚弄しているということもわかってほしい。そういうことでも反差別側は敵意ではなく注意をした、その注意を聞かず自分自身の言い分を通した、それで見限られた。それはあまりにも不本意であり憤りを感じても逆恨みでしかない。ならば、Twitterでブロックされた時にブロックした人を悪く言うのか?そちらの方にこそ独善的なものはあると思う。
Twitterのブロック、リムーブの理由
・そのユーザーに興味が無い(興味を失った、または住む世界が違う)
・嫌がらせなどの迷惑を受けている
・スパムアカウント
・自分の言動で相手を傷つけた、あるいは琴線に触れた(意に沿わない)
ということになっている。確かにネットで多様性を知るという事ではブロックは下策であり、言論封殺とも言える。しかしネットというのは自分の興味を持つか持たないかで人間関係が成立することもある。それで興味がなければブロックかリムーブで別れるのは当然。それに対して何故自分自身がブロックやリムーブをされたのかを考え、反省するのは良い。しかし、それだけでブロックした人が本当に解除するのか?十中八九回復しないと思う方が良い。では、リムーブされたらどうなるか、リムーブの場合は修復可能になる可能性が未だある(というより発言権はある)。しかし、相手の意向に反したり、興味がなくなったりしてでも発言したらどうなるか。そうなれば最終手段としてブロックをせざるを得なくなる。
それに野間さんはブロック魔だといわれるが、それは野間さんに対してくだらない興味のない話を延々と続けているからである(カウンターの時に確認済み)「無礼な相手にはそのような措置をとっている」に過ぎない。というより、それで言論封殺というのはネットでしか世界がないというのもあるんだよね。話は脱線したが、好漢に対して反差別側が行った行為はリムーブ→ブロックである。もしリムーブなら、今までの自分の言動を改めて相手のことを理解することが大事であり、それが不可能なら距離を置く事はできなかったのか?
もし、ブロックだとしたらどうする。もう相手は貴方に対して興味を持つなということを意味している。もしTwitterならサブアカウントでも作ってブロックした相手に自分のことを理解を求めるとなるのか?それを行えばどうなるか解るか!!?
Twitterの規約違反でもある「つきまとい、嫌がらせ行為」ということになり、凍結対象ってことにもなるんだよ。それほどにまでして相手に理解を求めたいともするのか。確かに相手に対して分け隔てなく接するのは良いことであるが、それはあまりにも理想論であり、その理想と現実の乖離が激しければいくら好漢であろうが、それを理解することなどないだろう。誤解を解くのが理由としても、それがさらなる誤解を与えるものである。
つまり、深く関わらないほうが賢明だ。
アタッカーに対して「外に出て、外の世界を見よ」と言えるなら、深く関わる必要などないはずだ。ここではっきりというが私も、アメーバからはてなに移転したのはネトウヨ、右翼との関わりを断絶するためだよ。そのうちアメブロの方も閉鎖するけどね。
それに、貴様に対してこれも言っておく!!
貴様が本当にヘイト・クライム、右翼に属するなら自分の趣味であるものを潰してまで出来るか?俺は一応、右翼側についた時には趣味を放棄してゲームのアカウントを削除した。もしそう出来ないなら、ヘイト・クライムに距離を置くことも可能だ。
これについても「塩屋の寅」さんが言っていたね、貴様はその問いからも逃げた。正直に言うと趣味を選択するということは「天下国家」よりも「自由」を選択したのもお前の言う『外の世界を見た結果』みたいなものだ。本当、今では廃人にまで絡まれているようだけど、そのような環境にまでなってることぐらいは自覚したらどうだ?
それにこれも言っておこう、貴様が今において沈黙を守っても、貴様を今でも許さない人はいる。その怒り、悲しみ、そして悲痛な叫びがわからない以上は貴様を許すことなど出来ないだろう。本当に贖罪の気持ちがあるなら、もう二度とネトウヨには関わるな。反差別の人と仲良くは出来なくても、彼らの意見をもう少し耳を傾けて理解すべきだ。そうしなかったからこそ、お前が一生懸命、血を吐くかのように理解を求めても聞き入れなかったのもそのためだ。
それには反差別も民族派もレイシズムもない。
貴様がいくら人にいくら好意的に接しようとも、そして分け隔てなく理解を求めようとしても、人の怒り、悲しみ、悲痛な叫びを理解できないようでは、それが侮辱になるということもある。本当に解るのか、レイシスト達によって傷つき、怒り、悲しんでいった在日コリアンたちの気持ちが。そして、京都朝鮮学校の子どもたちの悲痛な叫びが本当に解るのか?これは民族とか属性の問題ではなく、人間として解るのか?
朝鮮学校だから、あのような仕打ちを受けるのだなどと本当に言えるのか?
朝鮮学校だけではない、被爆者、発達障害者、須磨浦の在日コリアン達に対するレイシストどもの人を人と思わない言葉、貴様にはそのような悲痛な叫びが解るか、俺には解る。だからレイシストを許せないのだ。貴様にこれが解るか?
別に貴様に理解を求めようなんて俺は思わない。俺は自分の思ったようなことを書いている、ただそれだけだ。